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説教 その2

 

ぼくが子供に説教する時というのは僕の中ではかなり最悪な状況なわけです。つまり親がいまいち僕の考えが伝わっていなかったり理解してもらわなかったりしている場合がほとんどだからです。だから最終手段として子供に向かって先々のことを話していかなくてはならない、ピンとこない内容も多い割に伝えなくてはいけないことがたくさん出てくるのでまあ疲れるわけです。

僕の中では「この家に家庭教師に来る意味がないんじゃないか」と思ってしまうことがしばしばあったとしても、「とっとと自分をクビにしてください」ともなかなか言える勇気もないのです。
子供に直接何かを言わなくてはいけない状況というのは何とも不毛な時間を過ごしている気になるのです。

その家に関わる以上は自分なりに精いっぱい勤めたいし、すこしでも役に立たなくてはいけないなあと、考えるわけなんです。

場合によっては暇つぶしで終わってしまいそうな2時間というのがすごい嫌なわけでして、せめて少しでもいいからその子なりに前進してほしい、前進させなくてはいけない。そのために今何ができるかと、知恵を絞って奮闘するわけなんです。

それでも本人の気持ちに変化もなくに無残にも敗北を喫することは往々にしてあるわけです。
やる気がないだけでなく、受験生として孤立している子供の指導というのは無力感に駆られるだけでなく其の子の人生というものを考えるとあまりにも不憫でしょうがない、そう感じることもあるわけです。

今回例に挙げているご家庭は典型的な型から入る保護者です。おそらく早期教育にも関心を持っていたでしょうし、様々なことを試行錯誤してきたに違いありません。その様子が容易に想像できるくらい様々なものが散乱しています。

散乱と書きましたが・・・正直、きれい(整理整頓)にしている家とは呼べません。もちろん家の汚い奇麗は個人の自由ですのでそのことに関しては何も言いません。

ただですね、勉強に関するものも同等の扱いでは勉強に支障をきたすということは、明らかだと思います。
階段の途中にテキストが置いてあり、廊下の隅には解答が転がっていたり、部屋に行っても本棚から必要なテキストを一冊抜こうとしたら雪崩の如く様々なものが落ちてきて学校のものやらカードゲームやら全部混ざった状態でそれの仕分けだけでも優に10分20分かかる状態だったり・・・。
そんなことまで書かなくてもと思うかもしれませんが状況としてどういう環境なのかを伝わるように書いてみました。

つまり勉強以外のものも、そのような感じで目につく形になっているわけです。
すると少なからず教育に関心があったもしくは高いということは想像できる、それが言いたかったわけです。


家庭教師ではその日にどんな指導をしたか、何らかの形で残すのが一般的なのですが、これは当然重要な紙になります。たとえば宿題の範囲などを書く場合もあります。また場合によってはこれをもとに次回までに修正できる点は修正していかなくてはいけません。

そういう紙を用意しなくとも保護者に直接伝えることで「じゃあこれからどうしよう」ということを簡単に話したりする場合もあります。

いずれにせよ、家庭教師が「来てわからない問題を教える」だけで済むような優秀な生徒はまれで大抵はほかにも様々な課題があってそれをどうにかしたい、どうにかしようってことでその家に訪れるわけです。最終的には「わからない問題を教える」だけにたどりつくのが理想でしょうか。わからない問題も自分自身で克服できる方法を見つけたら、もう全く必要性はないかもしれません。(自分で分からない問題を解決する時間を短縮するために家庭教師を利用するというのも一つの手段ですが)


特に小学生であれば本人以外の家庭でのパイプ役は大変重要な役割です。原則として成績が低ければ低いほどその重要性は比例して高まるのが一般的です。

ここの家ではインターホンで親が出ることはほとんどありません。
人の出入りが激しく、よく親戚(?)などが来ているようです。インターホンには本人が出たり、兄弟が出たり、そして全く素性のわからない(いや、たぶん親戚)が出たりとまあ、ドラえもんのポケット張りに様々な人がオンパレードなわけです。

ここがまた不思議なのですがお母さんがいないかと思いきやそうではないようです。
必ず指導時間の半分を過ぎるころになるとお茶を持ってきてくれるわけでその時は必ずお母さんなのです。しかしまた指導終了後になるとお母さんはどこにいるかわからず大体子供が台所やらどこか探しに行きます。それでまあその日のことを簡単に話して終わるわけです。

そして帰りのあいさつは少し違和感を感じるくらい丁寧なわけです。
来たときに玄関先にいることはまずないのですが、帰りも玄関先にいないというのならわかるんですけど、最初は必ずいなくて(家にいるのに)帰りは必ずあいさつに来るという感覚が、・・・まあなんとなく妙だなと感じたわけです。まあこれはこれで不思議だなという感じがしただけなのですが。
あれは・・おそらくお母さんの中での失敗だったと思うのです。


いつものように玄関から上がり部屋に行くとテキストをなにも用意していないので「じゃあこれから00やろう」ということでテキストを出してもらおうとしたところ指定したテキストが見つかりません。なのでほかの部屋に探しに行ってもらいました。そしたらすごい剣幕でどなり声が聞こえるわけです、そして階段をバタバタと走る音が聞こえるのですがその間も罵声と何か叩いている音が・・・そして最後には母親が「何暴力振るうのよ!そんなことしてもいいと思ってるの?その手を離しなさい!!!」どんだけ階段の上でバトルしてんでしょうか・・・。

・・・と、思ったらすさまじい勢いでドアが開きます。
「テキストないわけないでしょう?早く探しなさい!」と相変わらずお母さんからは聞いたこともないような大きい声でどなり続けます。
僕が座っている椅子はいわゆる書斎でお父さんが座りそうな背もたれがとても大きい椅子です。後ろから見たくらいじゃすっぽり僕は覆われているので、一見すると人の気配がしないのかもしれません。ドアは僕からしたら右方向に座っていましたが、僕はドアと反対方向を向いて座っていたので視界に入らなかったのかもしれません。

そして机の本棚の上をあさろうとお母さんがまえに一歩進んだ時ようやく僕の存在に気が付き「あっ!!!」と一言。

「あ、もう、そんな時間ですね、こんにちは」とかなり焦っています。どうやら今僕がこの家にいることに気がついたようです。
そして性質の悪いことに子供は横でずっとニヤニヤしています。この子は階段でお母さんと喧嘩しているときから何を考えていたのでしょう。僕が来ていることをあえて言わなかったのかどうか、どうなんでしょうね。もともと口数の少ない子なのでただしゃべらなかっただけかもしれない。しかし僕の存在に驚いたお母さんに対して間違いなく笑っていたのは印象的でした。

指導中は5分もするといねむりモードで、一応眠っていることをさとられないよう(明らかにわかりますが)頬杖したり一生懸命背中をこちらに向けます。開始早々トイレに行くといって15分近く出てこなかったり、先程の話にも戻りますがこちらが指定したテキストが見当たらないと探すのをやめて椅子に座ったまま何故かその場でずっと無言・・・。
「ないの?」
「いやあ、ちょっと・・・」
「『ちょっと』何?ないならほかに思い当たる場所を探して、それでもないなら、ないって教えてよ。」(黙って座るということが「ありません」という合図なんでしょうか)
とまあこんな具合です。

じゃあ、今回なんで説教をしたか。

線分図を書かせる、とある和と差の問題を解説した後に類題を解かせたところ、線を二本書いていきよいよく書いた後に適当な数字をぱっぱと書き、その状態で中断するわけなんです。そしてずっとチラチラこちらを見ているわけなんです・・・・。同じものを書いては消して書いては消して。

僕ははっきり言ってこういう行為には腹が立ちます。解けない、分からないというのではなく解く意思がないばかりか適当に線を書いて考えている風に見せて、時間が過ぎていくのをひたすら待っている状態です。

最近の実力テストの偏差値の二倍をとっても志望校に受からないかもしれない、しかし父親はその学校じゃなきゃだめだと本命一本、併願校は全くなし。
母親は家庭教師がきたこともわからないのに早期教育の本はいたるところに山積み。
当の本人は「受験をして『いい学校』へ行かないやつはだめな社会人だから」とおとなしい顔してとんでもないことを真顔で言います。(ふざけて言う子はいますけど)
こういう子は不憫で仕方がない、と僕は思うのです。本人だけの問題ではないですからね。

早期教育の本を読む暇があるのなら四六時中子供を罵倒しないで少しでも本人と向き合ったらいいと思うわけです。ぐずだのろまだ、勉強しないなんていう前に、子供が何しているかもさっぱり理解しようともしないで返却された数字だけ見てののしる前にもっと本人の日常生活を目を向ければいいと思います。

どんなに帰りのあいさつをきちんとしても様々なところでその生きざまがにじみ出ています。僕はそれに気がつかないほど鈍感でもないです。いや、誰でも気がつくことだと思いますよ。

僕は説教する時には、子供には決まり文句のように「やめたければ辞めればいい」という言葉を言います。受験をやめたくてもやめられないような状況を周りの大人が作って、その中で生きている子供にこういう言葉を使うのは気の毒ですが、ただ少なくとも人のいる前で無駄に時間が過ぎていくように小細工をしたり、ごまかして生きるくらいならなんとか自分の意思で物事を考えられる人間に少しでもなってほしいと思うわけです。

はっきり言いますね、子供には。
「そういう生き方は君の人生にとっていいことは何もないと思うよ、やる気がなくて君の考えている志望校にうかるほど甘くはないよ。小学校生活はまだ10カ月あるから勉強やめて、他に好きなことをやるほうが充実しているかもしれない。」
ひょっとしたら受験をやめるなんていったら「じゃあ中学の学費は自分で払いなさい」とか「もうお小遣いはあげないから」とか言い出すかもしれない。その大人の脅し文句に屈するか、自分の考えを確立させることか出来るか、そこまで考慮しないで辞めればいいなんて無責任かもしれません。

ただ少なくとも今の状況は非常によろしくないということだけは分かります。
その家の家族全員に悪影響を及ぼしていると思います。

厳しい言い方ですが、両親の考えは型にこだわった中身のない教育だと思います。
もちろんそういう生き方で人生をうまく終えることができる人もいるかもしれません。
しかしまた一方で、そういう考えであれば自分を雇ってほしくないというのは、これはこれで僕個人の考えです。

AERAで面白い記事がのっていました、読んだ方もたくさんいるかもしれません。

関連して話したいことがあるので、この更新ペースではいささか時間がかかるかもしれませんが順次触れていこうかなと思います。


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説教

学力の差っていうのはどこから生じるでしょうかね。
僕は目に見えた偏差値での差よりも意識の問題や取り組む姿勢に差があるんじゃないかと思います。

たとえ偏差値が低くても「頑張ろう」「成績を伸ばしたい」という気持ちがあれば成績はまず間違いなく伸びていくからです。

伸び方に差はあれど、それでも最終的には、結果から振り返ってみたら大した差ではないな、と思います。仮に小学生の時点で差は埋まらなくとも中学、高校、大学そして社会人と続いていく過程でほとんどのケースにおいて埋められない差ではないと思います。

受験は相対的な評価を無視することはできませんが、そうはいってもまずは自分自身が「昨日よりも今日」「今日よりも明日」少しでもいいから成長していくことが重要だと思います。

どんな上位の生徒でもその積み重ねなんですね。才能があるとか、遺伝的な要素でスタートラインの時点で人よりすぐれているというわけではないと思います。生まれてきた瞬間から人は学ぶことを始めているわけですが五体満足で生まれたのであればその時点でのスタートラインでの差というのはあっても非常に微々たるものです。
好き嫌いでのその後の伸びに影響したり、中学受験を始める小学生になり塾に通う頃になるとずいぶんと差が付いていることはあると思います。(それでもその後の人生の長さを考えれば決して大きな差はないですが)

さて、なんでこんな話をしたかというと先日子供に説教をしました。
説教なんていうとずいぶん古めかしい言い方というか、何か自分がなんでもわかっている風な雰囲気になるので正直あまり好きじゃないです。そもそも説教そのものも労力を使うのでできればしたくないです。

しかしまあしなきゃいかん時もあるわけでして。
親が聞く耳を持つケースであれば、まずは親に話すというのが大事なことだと考えています。

じゃあ話したからってすぐに好転することもあればそうでない場合もあります。当然のことながら。それでも何度も同じことを話していくことで少しずつ悪習慣が改善されて数カ月も経過すればずいぶんと変化している場合もあります。

子供を先に注意するということは手法としてほとんどしないです。
子供のゆがみは表面的な部分を修正してもすぐ再発するだろうし、また余計なおしにくくなると思います。

子供への説教というのは、とにかくしんどいです。

ところで・・・。

人が家に上がり指導するというエネルギーは、たとえば本を読んでそのメソッドを学ぶエネルギーとは比較できないんじゃないかなと思います。

僕は家庭教師の一つの役目として指導するということだけではなく、
その家にあがるその行為そのものに意味があるんじゃないかなと思います。

いいかえれば人が家に上がるということの意味をきちんと理解できていないと家庭教師はその家に上がる必要性が低くなると思います。わからない問題を、勉強を教えるだけならネットがこれだけ充実したご時世ネットテレビやらネットサーフィンで手軽にできます。もちろん参考書だってたくさんあります。
抽象的な表現でうまく言えないのですが家にあがる効果というのは様々あると思います。
そういうのではどうしてもカバーできない部分というのでしょうか。
もちろんその部分が自分たちでどうにかできるのであればそれに越したことはないし、
そういう人は参考書と家庭教師の違いがわからなくても問題ないと思います。

昔は演歌の世界では(師匠の家に弟子が住み込みで働く)というようなことが行われていたらしいですが、この仕事をするようになりその「住み込み」ということの重要性に少し理解できるようになった気がします。

それは塾のテキストにも通じるものがあると思います

今はネットで非売品の塾のテキストを手に入れるのは非常に容易になりました。
「00塾ではどういうものを使用しているのか参考程度に見てみたい」というくらいの気持ちで購入するならわかりますが、それを購入することでただ単純に塾に通う費用を浮かせようと思うのであれば、それはなかなか難しいんじゃないかと思います。よほどの熟練者でなければ、もしくは保護者が気合を入れて勉強する覚悟がないと効果的に活用するのは難しいと思うのです。

その塾に通ってみて初めてその塾のテキスト効果が発揮できるんじゃないかなと、考えているわけなんです。
そうじゃない場合もあるかもしれませんが、再三話してきたようにサピのデイリーサポートなどは、塾に通っていない者が購入してもまず扱いに困ると思います。あのテキストが一番いい例ですね。一方日能研の本科教室であれば解説が丁寧に記載されているので頑張れば家でも扱えると思います。


ええ、と、なんでこんな話をしているんだっけ・・・・また脱線してしまった。

ああ、そうです説教です、説教。

いろいろと思うことがあったり考えたりするとすぐに話が他に枝分かれしてしますんです。
家庭教師にしろ、塾にしろその効能を考えてほしいと思うことがあるわけです。
転塾すれば、担当の先生を変えれば改善するのあれば簡単な話です。
それでも変わらない場合はまた違うことを考えなくてはいけないです、そう思います。

いや、僕かなりプレゼン能力が極めて低いですね。ブログだから垂れ流しでも誰にも文句は言われませんが。
いや垂れ流しにするか否か、そこら辺は自己責任ですね。まあ、とかくだらしないわけなので勘弁してください。

ええ、そこそこ言い訳したところで本題は次回にでも話します。


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最後の追い上げでよく思うこと



最後の追い上げの時期も終盤ですね。

僕が指導している子供の中でも学力が確実に伸びてきているなという子どもがいます。

こういうことはこの時期になると総復習となってくるのでその判断は難しいですし、本来そういう言葉が適しているのかどうか実際のところよくわかりません。

というのは「範囲の狭いテストでは出来ていた→だけど総合テストではもう忘れていて得点できなかった」こういうケースの場合に、終盤にようやく忘れないで解けるようになってきたことが、果たして学力が伸びたといっていいのかどうかが個人的には判断がつかないからです。


秋頃のテストというのは、志望校用のテストではない限り、たいていはそしてそのテストの中身の大半が総単元の基本から標準レベルの問題で構成されています。(ちょっと日本語下手ですね、伝わるでしょうか。)

要は大雑把に言ってしまうと基本レベルがほとんど網羅できてていれば上位3割に入ることは十分可能だし、さらに各単元で学習してきた標準レベルの問題も7,8割一人で解けるレベルに来ていれば最難関を狙える立ち位置にいるということです。

各単元で学習する標準レベルというのは、「塾の違い」「クラスの違い」がありますのでひとつ例を挙げますと例えば四谷大塚の予習シリーズ。

Ytの合不合テストの問題を見ると(5年生の予習シリーズの練習問題レベル、6年生の上巻までの基本問題レベル、)ここら辺を一人で解いて9割くらい正解できる力があれば間違いなく偏差値で60は行くと思います。計算ミスが1問2問あったと想定しても150点中100点は得点できると思います。
四谷大塚ではこのほかのテキストに演習問題集がありますが、このテキストの応用問題レベルはほとんど解けなくても予習シリーズのレベルが練習問題まで完璧であれば、運がいい時には135点くらい得点できると思います。そうなると偏差値でみた場合大体低く見積もっても60後半ですね。(運がいいなんて言うと語弊も招きそうですが全体の問題レベルであったり、ケアレスミスの度合いなどを加味したらというニュアンスです。)
ちなみに早稲アカや栄光ゼミのテキストもほとんど中身が一緒なので予習シリーズと照らし合わせてみればどれくらいまで理解していればいいのか見当がつくかと思います。


最後の時期に著しく変化してきて、模試などの成績もグンと上がってくる子どもの中にはこういうタイプは少なからずいるなと毎年思うわけです。

これは何かを吸収してぐんぐん伸びるというのとは違うわけです。テストの結果だけを見たら同じように見えるかもしれませんが過程を見ると違うのです。

最初に書いた、伸びてきている子供というのは言いかえれば「頭の中の整理ができてきた」という感じです。そのため過去問でもかなりはっきりと得点に変化が見られるのです。元々知識として備わっていたものを思い出させて整理させていくだけなので即効性が高いわけです。

基礎をきちんと定着させるということは簡単なようで難しいのか、それともカリキュラムに問題があるのか、それをすぐに結論づけることはできませんが(集団塾には集団で授業を進めるの難しさがありますし)少なくとも多くの生徒が基礎をきちんとさせるということに苦労しているということです。しかもそれは直前においてもかなりの生徒が苦労しているということです。

上位の生徒にはあまり関係のない話かもしれませんが受験する下位から平均層までの生徒にはその層から頭一つ抜けだすためにはどれだけ「基礎問題を確実に得点できるか」これがとても重要だと僕は考えています。その多くの場合が大人が考える以上の基礎レベルです。

この話と関連して、先日気になる週刊誌の記事を見かけました。
そのことについても触れてみたいと思います。



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NHK高校講座


昨日は記事の訂正をしましたが、今回は「中学受験するかしないか」で取り上げた内容をもう少し詳しく紹介するという趣旨です。

そのときに「高校数学の番組にも分数の乗除を組み込むといったようなことが書かれていました。」というようなことを書きました。その内容を詳しく紹介したいと思います。

NHK教育テレビの「高校講座」の内容が変わり小学校中学年レベルから用意し、「学び直し」に使ってもらいたいという狙いです。
「ゆとり」路線以来指摘されている学力低下に加え、勉強に意欲が持てない生徒は増えており、実状を踏めての決断ということのようです。

通常の教科とは別に「ベーシック10」と銘打ち国語、数学、英語を1日10分ずつ、ステップ1から10まで難易度は日々上がり、中学レベルまで到達する仕組みだそうです。

具体例をあげると。

「少ない、短かい、危ない」間違った送り仮名はどれか。

「100グラムと5.5キログラムを足すと何グラムか」

「黒、赤、黄色、英語で言ってみよう」


さすがにこれは序盤のようです・・・。
さらに飽きさせないようにコミカルでカラフルなアニメのキャラクターやラップによる陽気なBGMを使った工夫がなされるようです。

実はこの取り組みには参考にした学校があるんですね。ということは実際高校でこのような方式で授業を進めているということですか、なるほどね。

そこでは入学時の学力が公高水準に達していない生徒が大勢いて、それらにはアルファべットの書き取り、分数の計算などの小学生レベルのプリント学習をほぼ毎日続けているようです。

狙いは「まずは鉛筆を持たせることから始める」とのこと。

ひっくり返せば答えがわかるようにプリントの表に問題、そして裏には答えを書いたり。

わからないままにしておくと授業が成立せず、学校生活も荒れてしまう。やさしい問題からレベルを上げて意欲を持たせることが必要です」立ち上げにかかわった人の言葉です。

高校進学率は97.8パーセント(08年度)ですが一方中退者数は7万人以上(07年度)、さらに不登校も5万人を超えており、勉強に意欲が持てなくなるケースも多いそうです。

なお番組は放送後もパソコンで見られるようにして、将来的には携帯電話でも視聴できるようにしたいとのことです。

高校生の全員が全員こういう状況ではないと思いますが、小学生レベルから始めなくてはいけない子供たちも存在するということですね。ただこれは公立に限らないかもしれませんが、僕が見たところ受験生でYTが偏差値30前後の子供でも分数の割り算ができない子供はいなかったと思います。(ままならない子はいましたけど)

高校進学率97パーセント以上というのは評価すべき数字なのであれば小学生レベルの学力の子供がいても世界的に見れば「あり」なのかもしれません。限りなく全員が高校水準に達してくればという願いなのか、「ゆとり以前」のレベルと比較しての危機感からなのか
そんなことまで考えだすと、まあ、そんな大変な事態ではないのかなという気もしないでもないような・・・しかし、ここ10,20年は中学受験により学力がきわめて高い小学生がいるのも事実ですし・・・難しいです。

果たして学力は全体的に下がっているのか、高校生も義務教育並みの水準になっていることはいいことなのか、学力差は広がっているのか。

この話題は難しいのでまた話題に取り上げるかもです。
とりあえず今回は補足ということで失礼します。


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理系 文系 その2

大雑把に分類するといわゆる理数系といわれる人は分析することが好きだったり、パズルのようにバラバラの物を組み立てるような行為が好きな印象を受けます。

文系というのは細かくあいまいな表現というのに抵抗感がなく、基本的にメリハリの
ある文章に感動を覚えない、という印象ですね。


僕は数年前、友人と話していた時に面白いことを言われました。

僕が「家庭教師という仕事をしていて今は算数にとても興味を持ち問題に取り組むことができることができる。そして実際にとても向上心を持って取り組めるので実は自分は理系なんじゃないか」という話をしたんです。

背景として僕は学生時代、数学が超がつくほどの不得意科目だったのですがそのことを友人も知っていました。どれくらいかというと常にクラスで1,2を争うレベルです。
(・・・まあ、授業は聞いていませんでしたね、はっきりいって。何とか高校三年の時「これが最後の数学」と中の下くらいにもっていきましたがそれまで群を抜いてできませんでした。)



ですが、僕の話を聞き終えると「やっぱりお前は文系だね」と言われたことがあります。
よく覚えていませんが、確か「理系にしては理路整然としていない」という理由だった気がします。
なんて言われたのかな、イメージのウェイトが大きい、みたいなことだったっけ・・・。

すいません思いだせません。

そうやって考えてみると、このブログを見てもわかるように簡潔に白黒はっきりさせるのは下手ですね、確かに。文章が下手なのか、理論が確立していないからなのか、両方なのか、わかりませんがまだまだ向上の余地は大いにあると信じていますが。

なので僕はいまだに自覚症状がありませんが、その時の友人の言葉は印象的でした。
でも他人が言うのだからやはりそうなのかな、文系なのかな、と今でも考えています。


僕が言いたいのはですね、結局のところ理系、文系というのは何気なく使っている場合も多いのかなと思います。本人の自覚症状と違うこともあれば、まあそれはいいんですが。

人間というのはその意味をよくよく吟味もせず何かを結論付ける、この場合でいえば分類したがる、そういう性質というのはあるんじゃないかと思います。
それは別に悪気はないんですね。ないと思います。
しかし言われた当人にはどうしても過敏に反応してしまうこともあるわけですね。

とくに多くの子供たちは大人の言葉に縛られてしまうのです。


「あなたは上の子と違ってこうだから」
「お姉ちゃんはおしとやかだけどあなたは運動が得意ね」
「上の子は器用だけど、下の子は不器用なんです」
「あなたにこれは向いていないのかもしれない」


良くも悪くも言葉そのものが子供の方向性を決めている場合が多いと思います。
まっさらな子供はそういう言葉に対して比較対象もないので「ああ、そうなんだ」と思ってしまうわけなんですね。

何気ない一言がまるですべての人間の意見のように吸収されてしまうように見える場合もあります。

だから誉めるのは大事、とも言えますね。

特に僕が接している子供たちは10歳初めですからね。そんな歳でその子の能力が限定できるとはおよそ思えません。ですから先天的に何ができて何ができないというのは言えないと思うのです。(好き嫌いは別として)


僕は国語の成績が良くて算数が苦手な子供には「国語ができるなら必ず算数はできるはず」と事あるごとにいいます。おそらく間違っている場合もあるでしょうね。

半分くらいの子供が「実は算数が得意かも」と思い込むようになります。そしてその中の大体の子の算数の成績が伸びます。

実際伸びない子も少なくとも気持ちは前向きになっています。

仮に点数が悪くても、「できるは」と思い込んでいるほうが「どうせ出来ないし、きらい」というよりも精神衛生上はいいと思います。

本音を言えば正しいか間違っているかは二の次なんです。言いたいことは「できるはず、得意だと思う」ということなのです。強制になりすぎてもいけないんですけど。


算数が馬鹿みたいに得意な子供で国語がそれほどでもという子の中には式が本人だけの世界に仕上がっているという時もあります。

一見よくわからないんですが、拙いながらも本人の話を聞くと「ああ、そういうことね」と何とか意味が分かる場合もあります。

どうでしょう、こういう子は理系と呼べるのかもしれません。

でもこういう子にはこういう子なりの国語においても必ず強い部分があると考えています。
もしくは単純に文章を読むのが嫌いという場合もあるでしょうね。ですから力がないというより好きじゃない、というほうが適切かもしれません。



じゃあ、こういう子はどうやって算数を読み解く力を身に付けたか、と考えた場合。


・・・・どうなんでしょうね(笑)・・・・・。


おそらく、読書や活字に触れるという以外でも他人とのコミュニケーションや、もしくは例に挙げた子供のように推理やパズル、囲碁将棋などが好きということなのかな、と想像しています。




ということで考えをまとめてみます。

理系にしても、文系にしてもその中でさらに分類することができる。
そうするとある部分においては理系で、ある部分においては文系なので、二分できない場合もある。


なので自分の中で苦手となっている理系(もしくは文系)の中でも逆のほう(理系が苦手なら文系から)から自分の得意な部分を探し出してそれを苦手な科目に生かせるといいのではないか、ということです。

僕が今考えていることは。

長所からさらに長所を伸ばす、こういうほうがよく伸びるのではないかなと思います。
特にまだ年齢が低いうちはまっさらな分、尚のこといいんじゃないでしょうか。


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プロフィール

shioshioshu

Author:shioshioshu
1980年生まれ 男性
慶応中等部出身
担当教科 主に算数
合格実績 麻布、駒東、ラサール、桜蔭、女子学院、渋幕、渋々、慶応普通部、慶応中等部、早稲田中、渋渋、武蔵、サレジオ、広尾、青学、学習院、浦和明の星 等

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