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良い講師 その2

無料オンライン講座を通して考える「良い講師、良い教育機関」について、
大学ネタはここでひとまず区切りにして最後に自分の見解を述べていこうかと思います。


オンラインで世界に無料発信する会社「ユダシティ」-では「教える上手さ」にこだわり講師を選んでいるようです。

企業のエンジニアや起業家が大半で大学教授は半数くらい、講師の肩書きよりも教える技術に重きをおいたためか各地の大学の教授数百人が参加を打診してきても98パーセントは断ったそうです。

新聞の中では物理学入門を教える25歳の若い先生が紹介されていて設立者であるスラン氏(おそらく採用者)は

「彼は質問を繰り出して受講生の脳に入り込み、考えさせることが実に上手い。人が学ぶには教授の講義を聴いているときではなく、自分の力で考えているときなんだ。」と話しています。

ちなみに、この「ユダシティ」は設立者は大学教授出身ですが大学が設立している「ムーク」とは違い大学が出資してくれているわけではありません。

どうやってお金を捻出しているかと言うと、人材派遣のような形をとって利潤を作り上げているようです。
つまり講座を受けている中で優秀な学生の成績を基に履歴書を作成しそれを企業に送り、企業側は科目ごとの成績を元に人材を見つけ声をかけ、採用に至ればユダシティーに仲介料を払うという仕組みです。


このシステムがこれまでの大学に「所属」して卒業証書を持ち就職活動をするというスタイルを一変させる、雇う側と雇われる側がよりダイレクトな関係になっていると思われるのですが如何でしょう。

記事にも書いてあるようにもしこのスタイルがもっと浸透してくれば大学のあり方が大きく変わっていく、かわらざるを得ない状況になると思います。

スラン氏はこのように述べています
「社会の先端技術は5年で変わるのに、教授は相変わらず自分の研究テーマを教えている。高等教育は壊れている、大学が育てている人材と企業が求める人材にミスマッチがある。新卒の若者が入社後に学びなおさないといけないなんで悲しいでしょう。」

これは実に考えさせられる見解ですね。

「意味も分からず学歴を求めるためだけに闇雲に勉強するような時代はナンセンスである。」

こういった考えが主流になる日が来ると良いのですが、「動機」の話のときにも取り上げたようにそうでないケースは少なくないどころかまだまだ「理由を考えるまでもなく良い(偏差値の高い)学校に入れば良いに決まってる。」と言う考えははびこっています。


ムークやユダシティーで提供する講座の受講生は国境や人種社会的地位関係なくお互いが様々な方法で交流をしている様子が書かれているのですが、これが学びの本質であり人間が成長するうえでもっとも自然な姿だと思います。

僕はこういう記事を読むたびに自分の高校時代を思い出します。
学ぶ意味も見出せすそして大して関心もないことにどうやってエネルギーを注げばいいのか?高校の校舎なんて僕にとっちゃ収容所のようなものにしか映りませんでした。いや、もうほんとに。

きらいなこと、つまらないことでもきちんとやることが人生ともいえるかもしれません
がその程度の気持ちで物事をきちんとこなすなんてのは自分には土台無理な話でしたし、やはり人間が一番能力を発揮するときと言うのは損得勘定を越える熱意や意志がある時なんじゃないかと思うのです。
その考えは当時から変わりませんし今この仕事をしていて、ダイレクトに子供達に直結するわけではないのですが、それでもいろいろ考えるとよりその思いが強まったように感じます。

今の高校生は親世代よりも勉強熱心でまじめな生徒が増えたと言うデータがある一方、東大をはじめとする名門大学では教える側が生徒に対して均質化してきた印象を持つことに危機感を抱いています。

つまり一見「まじめ」に映る生徒はともすれば「つまらない」人材に映る可能性もあると言うことなのだと思います。
そのなかで本当に賢い人間は海外進学も視野に物事を考えたり、ムークのような無料講座を自力で探し出しているのかもしれません。

ちなみに武蔵が創設する課外コースというのがありますがこれも東大(現在の)よりもグローバルな人材と言うのに重きを置いた教育施設なのだと思います。
こういう施設が「アンチ国内」とならずに「国内で自分の求めるものがないときに海外に目を向けるのもどうか?」と言うような選択肢の幅を広げる存在になることを期待しています。


僕は基本的に「何が何でも海外」と言う発想は少々安直な気がして賛成できないのですが国外、国境を越えて良いものを求めるという流れが世界中に起こりつつあり日本も徐々にそういう流れの影響を受けつつあるのだな、今回のムークの話を通してそれを強く感じました。

日本でも海外志向の高校や大学といった教育施設はどんどん増えているようですが飽くまで日本人としてのアイデンティティーを失わないグローバリズムとでもいえばいいんでしょうか(横文字多いな)そういうのが培われる優秀な学校が増えるといいです。


移り変わりの激しい時代です。あと5年位したらどうなっているんでしょうか。


ということで初めにも書いたように、いい加減、、そろそろ中学受験ネタに戻りたいと思います。


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感情のもつれ  その2



ほとんどの場合に親子の感情のもつれは家族に対する敬意が足りないがために起きると思います。個人的な印象をいえば、親であっても子供のことはわからない部分は随分多いのではないかと思います。

ですから敬意なんて言うと仰々しいようですが絶対に忘れてはいけない、最低限の「人」としての礼儀だと思います。外見上の礼儀がどうのこうのということではもちろんありませんが「家族というものはなんでも言い合える仲である」と思うのは、「子供に対しては何を言ってもいい」という発想に転換する可能性があり非常に危ういと思います。腹を割ってなんでも話せるというのと、どんな言葉を突き刺してもいいというのは訳が違うと思います。

子供は親に甘えるのが本来の姿ですから時には親に感情的になるような言葉を向ける言葉もあると思いますが、立場が上の親の方が一歩引くという気持ちを持っておかないと歯止めのきかない喧嘩になっていく事もあります。

まあ、昨今子供を餓死させたり、あたかも力のある親がその力を行使することでストレスのはけ口にしたり、本人の日常生活の行き場のない感情を弱者に向けるということも珍しくありませんね。要はいじめっ子の発想に近いですか。程度の問題でもありませんがそういうのに比べれば些細なレベルかもしれませんけど。


まるで何かの育児書のようなことを言い始めていると思う人もいるかもしれませんが、僕は基本的に子供の勉強を「見る」というのは育児というものと原理はそう変わらないと考えています。

例えば普段育児をしていない人間がいきなり子供の心情を理解しようとしても難しいように、普段子供の勉強内容を理解していない親がある日突然子供の短所を指摘したり、改善修正を強制しようとしたりしても、うまくいかないことは明らかです。

ですが育児には待ったなし、気を抜く場面がないように子供の勉強内容を常にきちんと把握しておくということもなかなか大変です。

「せめて受験が終わるまでは」とか、期限を自分なりに設けていればなんとか頑張れるかもしれません。

ですが、何か目的を達成したときや、比較的順調にいっているなあと感じた時などは、案外子供の心情を見えなくなったりして盲点なのかもしれません。

高校生の生徒がいるのですが、成績のことでありがちな親子喧嘩をしました。


高校生ともなるとかなり正確に自分の状況を説明でき、また客観的に物事を見ることができます。そうすると、親が考えている以上に何かを考えていたり、また親の言動の裏に見え隠れする本音というのをはっきりと意識的に感じ取ることができてきます。当たり前ですが小学生とは全然違います。

親子喧嘩の後に子供がいないところで親と話しているときに「うちの子は00に決まっているんです、だから成績も落ちてきているんですよ。」と感情的にいろいろな思いを吐露するのですが、その中身がどこかズレているわけです。

あまり告げ口をするようなこともしたくなかったのですが、とりあえず伝えたほうがいいかと思い「00君は最近こういうことを言っていましたよ。」と子供が話していたことを伝えました。
実は成績が下がっていくだろうというのは、試験を受けずとも何より本人が一番自覚していたのです。現在の自分の状況に関して自覚出来ていながらも勉強に身が入らない、そんな自分が嫌だというのことを僕に話していたわけなんです。

それを聞いたお母さんはひどく驚いて、よもや自分の子供がそんなふうに悩んでいるとは全く想像もしていなかったのです。

さっきと逆のようですが小学生に比べればだいぶ成熟してきたとはいえ未熟な部分もあります、ですので親が何気なく叱ったり注意したりしたつもりでもそれが気に入らないで怒りが爆発することもあります。だから本人が思考の過程をもう少し親に話すことがでいたら親子喧嘩も小さくなったかあるいはなくなったかもしれません。前回の話じゃありませんが、自覚している分、人から言われると余計に感情を逆なでしてしまうのかもしれません。

親子喧嘩の時にいつも言っていることですが「どちらが正しいのかではなく、どうすれば少しでいい方向に行くのか」それを考えなくてはいけないと思います。

高校生くらいになれば僕に対してかなり正確に自分の考えを伝えることはできますが、根本的な部分は小学生も変わらないと思います。

ですから正しいかどうかではなく、どうすれば良くなるのか、これは短所を指摘するよりもはるかに難しいです。短所というのは自分がスポーツ新聞記者にでもなったつもりで粗探しをすればいくらでも見つけられると思いますし、そうですね・・・いわゆる2chとさして変わらないんじゃないでしょうか。

批判をしたり短所を指摘するだけして言い放つだけでおしまいというのは、あたかもそれが正しいから何を言っても許されるという実に自己中心的な行為です。

ともすれば親しい中だからこそ感情のはけ口に言わなくてもいい言葉を発してしまうことがありますが、それが致命的なダメージになりかねないこともあると思います。

だからそこで、感情のもつれが少しでも少なければ親子というのは基本的に良好な関係が築くことができるはずだと思います。


喧嘩するほど仲がいいなんて諺もありますが、家族間であっても最低限の礼儀や人権を尊重するということを忘れなければそれもよし。そしてそうすれば勉強などにおいても余計なトラブルもなく改善すべきことについて無駄な遠回りをしなくても済むのではないかと思います。

やはり親子はお互い協力し合えばこれほど心強いものはそうそうないものだと思います。


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就活から感じること


中学受験の目的というのは「いい学校に入る」というだけでなく、
その先にまで目標を見据えて「生きていく力を身につける」そうあってほしいと思います。

以前新聞で花まる学習会代表の高濱正伸さんという方が
「育てたいのは受験を勝ち抜く人間ではなく、どんな時代にも一人で飯が食える人間だ。」
と話しているのを読んでとても共感しました。

まさにその通りだと思うのです。そもそも「良い学校」という概念も自分たちの価値観で幾分食い違いますが、いずれにせよ最終的には「人間力」のようなものを身につけてくれることが重要だと思います。

学歴が高いほうが世の中生きていくうえで有利な事がたくさんありますが、高卒や中卒であってもかしこい人間や人格者といえばいいのでしょうか、そういう方も大勢います。
おそらく共通しているのが自活力、自給自足力というのでしょうか、学歴に関わらずきちんとしている人というのはそういう能力が高いのではないかと想像しています。



ここ1,2年大学受験や就職活動の記事で目を引くのは「親の介入度の高さ」です。



予備校の説明会や就職セミナーに保護者が出席したりするというのはただ単に不景気の影響だけと言い切れるのか。
個人的には「ひょっとしたら今の親子関係が一昔前に比べて未熟なんじゃないか」そういう思いがわいてきます。社会人に向けての最終段階において過剰に親が干渉してくるとなると就職してからも上司にやたらと文句を言いに行くのではないか、そんな姿を想像してしまいます。(今、そういう話も全く効かないわけでもありませんが)

新聞では就職活動に関しての記事はしょっちゅう取り上げられていますが最近書いてあった内容を取り上げてみます。


~~娘に変わりセミナーへ
提出書類も書きました~~

この言葉の横に大きく「おや?」と書かれていました。

どういうことか?
具体的に以下のような行動をする保護者がいるそうです。


① アルバイトで就職セミナーに来ることができない娘の代わりにICレコーダー片手に出席している保護者。
② 朝一番に大学の事務室に電話して、卒業に必要な実習と企業の面接日が重なってしまったので「実習の振り替え」を学長に訴える母親。
③ 親の意見で内定を断ったり、家族会議で大企業の採用活動がほぼ終わる6月ごろに就職活動をやめてしまう、先送りして留年する学生、。


こういうのをヘリコプターペアレンツと言うのだそうです。(子供の頭の上を旋回して必要とあらば急降下してくるという意味だそうです。・・・なんか聞いたことあるような気もします。)


大手就職情報会社リクルートでは説明会などへの保護者の立ち入りを禁じているそうです。

一方で親を対象にした支援サービスに企業も乗り出しているとか。



ほかには、こんな親、困った!ということろで4つのタイプがかかれていました。

① 価値観押しつけ型
「大企業を受けなさい」「公務員が安定している」などの価値観を押し付ける
② 無関心型
「好きな事をすれば」と全くの無関心
③ 過保護型
「明日どこ行くの?」などと細かくチェックする「就職浪人でもいいよ」と逃げ道を示す。
④  けなし型
「口下手だから営業は向かない」と否定して可能性を狭める

なかには「ああ、そういうのも困った親なんだ」というのもあるような気がしますが、それは自分の常識がずれているからかもしれません。ただ概ねこれは中学受験にも言えることだなあと思いました。(ちなみに上では過保護型と書いてありましたが、僕はいつも便宜上「過干渉型」という言葉を用いていますが内容は共感します。)


僕は中学受験は親の受験ということは言いますが、それは親子で二人三脚で何かにあれほど取り組むという行為がほかではなかなか経験できないものであり、その経験を通して親子共に次の段階へ進む、そういうものだと思っているからです。

ですからその段階において適切に取り組むことができたら、本命校に受かる受からないにかかわらず、大きな財産を得ることができるんじゃないかと。
その後の親子の関係にもとてもいい影響を当てるんじゃないかと思うわけです。


何が問題なのか。


要は親の関わり方ですね。単純な「関わりの有無」ではなく「関わり方の質」だと思うのです。


たとえば中学受験において克服すべき、もしくは超えるべき親子の関係を築くことができていれば周囲が「おや?」と思うような行為というのはずいぶん減ると思います。


新聞の記事の内容はほとんどが過干渉への警鐘という意味合いで書いてあったのですが、そのなかで「ああ、これはなかなか粋な親心だな」と感じたものがありました。

人材サービスのパソナでは保護者を対象に無料相談サービスを始めたそうで、そこに来る親の中には娘に内緒で「就職について何も知らないと、娘を話そうとしても相手にされないから。まず私が知識を身につけます。」という人もいるそうです。

そこまでしてという考え方もあるかもしれないですが、これはこれでうまい距離のとり方だと思います

また記事の締めの言葉がなかなかどうして響いてきます。

「親は、手を離して、目を離すな」
「就活は自己否定の連続。親にも否定されたらつらい。温かく見守ってあげて」


受験や就職活動において親の在り方を言葉で表現するのが難しいものですが
手を離して目を離さない、このニュアンスが絶妙じゃないですか。



明日はいよいよ1月です。

残り一カ月。

大晦日も正月も塾に行くのが常識になりつつある中学受験ですがここまできたらやるしかないですね(笑)。
腹をくくって根性すえて残り期間を乗り切りたいものです。




ではではよいお年を。



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人間力


中学受験後はどういう生活が待っているのか、数年前に比べて気にするようになりました。

せっかく合格してどこかの学校に入ったとしても、そこでの生活が実りあるものでなければ何ともつまらないものです。

今年一年興味のある記事を取っておいて、いつかブログでも書いてみようかと考えていたんですが、そのほとんどが机にしまってあるだけです・・・。

あらためて読んでみると大学受験、その後の就職活動、そういったことに関する話題にも注目していました。

中学受験とは関係ないようで関係あるような話なのですが直接的ではないのでいつも後回しになってしまいます。まあ、また話す機会があれば取り上げたいです。

んで、今回は私立、国立の学校の家庭科について、新聞に載っていたのを取り上げてみようかと。

「家庭科、熱い男子校」というタイトルで家庭科に力を入れている男子校が取り上げられています。
写真では麻布高校、記事内では桐朋、筑駒、洛星と最難関クラスの有名進学校ばかりです。

私立だけあってそれぞれの学校で行われている家庭科は実に多様です。
調理や裁縫に力を入れているだけでなく、社会問題を扱っている授業もあるそうです。

たとえば洛星では調理用具やミシンなどが整備されて裁縫もできる多目的用と家庭科専用の教室があるというのですからかなり力を入れていますね。高校の料理研究部は全国高校生食幾選手権で優秀賞に輝いたそうです。
男子校に料理研究部というのも珍しいですが、そんな選手権があるんですね・・・知りませんでした。また三年前から25組の赤ちゃん連れの家族に来校してもらい中学3年生全員との交流授業をしているようです。育児体験ということですかね。

筑駒では「中学受験をするには専業主婦のほうがいいのか?」という「仕事と生活の調和」をテーマに授業に取り上げたり、また同校の教諭は自身が二児の父親でもあり、自らの子育て体験も交えて授業をしているようです。
「結論を出すことが目的ではなく、似た環境で育った生徒が多いので、家族や社会の多様さを学んでほしい」というコメントが印象的です。

家庭科は1994年から男女研修になりました。僕が高校に入る頃には確か「生活」(・・・?)というような名称で存在していましたが、正直家庭科からは程遠い授業だったと記憶しています。

麻布では1996年に保護者の運動で中学では「生活科学」高校では「生活総合」という科目名で家庭科を導入したそうです。
高1の夏休みには産婦人科の病院での子供の世話や遊び相手、老人ホームでのレクリエーションの手伝いなど18のメニューから選べる体験学習があるようで。うーん、そのいきさつがいかにも麻布らしいですね。

最後に高校一年生のコメントがまた実に殊勝です。

八ヶ岳で有機野菜を作る農業体験をするこの高校1年生は
「勉強ばかりしているよりも、身近な事が出来ないと人間としてだめなんじゃないかと思いました。」だって。

・・・真面目だ・・・。

いやあ、素晴らしいじゃないですか、学力の高い人間の多くがこのような考え方ができるといいのですが。

偏差値の高い進学校でこのような風潮があることはとてもいいことなんじゃないかと思います。

何のための高い学力なのか、本当の意味で社会に貢献するリーダー、エリートとなり得る人間には何が必要なのか、個人的な考えとしては中学受験に臨む全ての親がそういうことも視野に入れて考えると素晴らしいんじゃないかなと思います。
多様さを学ぶ、と言えばいいんでしょうか。

単純に何か一つの物差し(学歴など)で人の優劣を図るのではなく世の中にはいろいろな立場や環境の人がいて、また様々な価値観で生きているということを学ぶことは重要だと思います。

社会的に高い地位に就く人には特に学ばなくてはいけないのがそういう広い視野や柔軟な考え方なのかなと、大学受験や就職活動の話題をみるたびにそう思います。


決して多いわけではありませんが小学生でも自分の「夢」というよりも、もう一歩具体的な「将来のビジョン」につながるような考えを持っている子供に出会います。

ちなみに自分も、家事はします。
まあ同世代の人間のように始発から終電まで仕事をしているような人間ではないので自分の裁量でどうにかできる時間が比較的多いほうだと思います。

仮に自分が会社勤めの人間になったとしても、「仕事しかできない人間にはなりたくない」という考えは持っていたと思います。

特にアトピーになってからは食事のことにも意識が行くようになりましたし。

あ、料理もしばしばします。地元のスーパーのチラシは毎週大体チェックするような男です。

あとは気功やヨガの本を読んでいくうちに自分の考える「自立した人間」になりたいという思いはより強まったように思います。

バブルがはじけて、就職氷河期、少子化、その流れは僕が中学生になってからくらいですが自分が社会というものを考えるようになってからのそういう流れは、様々なことが一つの線につながって感じることがあります。


自分は自分の立場で、今指導している子供たちに何ができるのか、受験後の人生に良い影響が与えることができるのか。遠いようで近いのかなと。


すいません、前回に続いて中学受験に関係あるようなないような、そんな感じの話題を取り上げてみました。





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一生背負う覚悟


ぼくのピアノの先生ははっきりと年を聞いたことはないのですがおそらく50前後かと思います。

ピアノの先生の音楽関係の知り合いで開成中高出身で慶応医学部卒の医者がいるそうです。
生徒なのか、演奏仲間なのか、楽器は何だか忘れましたが、そのおじさんの同窓会かなんかで演奏する機会があったらしく開成出身が集まる飲んだくれ集団(先生曰く)と話す機会があったそうです。

医者になったその人は児童心理や鬱などそういうことを専門としている人なんだそうです。(又聞きなので詳しいことは分かりませんが)

「その人が言うんだよね『自分と同期ですごい優秀な奴がいたけど東大行って学生のうちに自殺した』って。それでね『今こうやって集まってるけど自分も含め中高の頃は成績がみんな悪くてね、そいつの半分も取れなかったこともあるよ』っていうんだよ。あたしは詳しいことは知らないけど結構自殺する人とか多いんだってね。」

何を比較対象として多いと定義できるかは分かりませんが、その医者のおじさんの周りでは何人かそういう人がいるんだそうです。あとは「早くして亡くなることも多い」ということをピアノの先生に話すらしいのです。

「その医者のおじさんはさあ『今でも親は恨んでいる』っていうんだよね。あたしは音大受験だからよくわかんないけど中学受験ってのはたいへんだねえ。」

とまあ、そんな話をしたわけです。

どの道でも最高峰になるというのはとても大変ですが東大や慶応卒の医者なんてのはまさに学問のエリート中のエリートですね。

でもそこまでの高みにたどりついた人間が30年以上たった今でも「親を恨んでいる」のだそうです。
心の奥底に刻まれた何かしらの傷が30年やそこら、時間が経過したぐらいでは癒えやしない、忘れることはできないものとなって残っているわけなんですね。想像するだけでもなんとも重みがあります。

3,40年前といえば開成高校の東大進学人数が日比谷高校を抜き始めたかどうか、そのころだと思います。

今ほど中学受験そのものは過熱していなくとも御三家クラスに入学するのは容易ではなかっただろうし、また入学後の勉強の大変さも今と大きく違ってらくだった、ということはなかったと想像しています。大学受験が控えていますからね。


周りがうらやむような地位を得てもその過程が、トラウマや人生の業となることは少なくないのかもしれません。こういう類いの話を聞くといつも思います

本人以外の保護者となる誰かがどれだけの労力をかけたか想像もできませんがそれもそれでかなりのものだった可能性があります。

度々、取り上げるのは三回目ですが朝日新聞の「塾激変」のシリーズの最後の締めくくりでこんなことが書いてありました。

~~

受験勉強をする中で子供を怒り、自信を失わせてしまう親をたくさん見てきた。必死だからこそ、子供を追い詰めてしまう。ぎくしゃくするのは親子関係だけではない。教育方針の食い違いから、夫婦で意見が対立する家庭もたくさん見てきた。
「中学受験を通して、子供は幸せにならなければならない。でも、不幸になってしまう子もいっぱいいる。合格だけでなく勉強して良かったと思える受験をしてほしい。」

~~  

2010年10月7日 朝日新聞 10面より


受験は大きなイベントで正直、合格すればその後の子供の人生にとても良い影響を与える可能性を秘めています。ですがその分リスクもないわけではありません。ましてや開成に合格しても幸せを実感できない人すらいます。

そういう可能性がある、それを一生引き受ける覚悟を持っておく、というのは大げさなことではないように思います。

受験を通して子供を幸せにする義務、それは目に見えた結果だけという単純なものではないです。
個々人100者100様、それぞれの幸せを保護者は各々見極め、導いていかなくてはいけない、そんなふうに考えたりするわけです。

「人生をいい方向に」と前向きに考えるのと都合のいいように考えるのは違うと思うわけです。

僕にとっては、こういうことを良く考えるというのは受験の時期が迫ってきた証拠です。




合否を超えた何かを得ることができれば、とまあそんな感じの今日この頃です。




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プロフィール

shioshioshu

Author:shioshioshu
1980年生まれ 男性
慶応中等部出身
担当教科 主に算数
合格実績 麻布、駒東、ラサール、桜蔭、女子学院、渋幕、渋々、慶応普通部、慶応中等部、早稲田中、渋渋、武蔵、サレジオ、広尾、青学、学習院、浦和明の星 等

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