スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

受験てなんですかね。

僕の受験時代、というか僕の経験を少し。


僕も実際家庭教師をつけてました。途中家庭教師を辞めましたけど。

集団塾でありながら、特別に塾のない日に通塾している先生から個別指導を受けさせてもらってました。

当時はその意味がわかりませんでしたが、まあたぶん親が何か取り計らったのでしょう。


ついまりそういうことが、それが当たり前で育った人間です。

なので秋ごろは週6日は塾行ってましたね。毎日眠かった記憶があります。

電車の中での20分の睡眠がとても貴重でした。といってもたかが数ヶ月間の話です。のど元過ぎればですね。

実は僕は9月まで野球をしていました。だからテストなんてのはたいてい振替、野球と塾の合宿をはすごした記憶もあります。夏休みの大会を最後に自分だけ引退させてもらいました。ずいぶんみんなに迷惑かけましたね、今思えば・・・。

6年生の頃に不眠症で徹夜で算数の教材を解いたこともあります。たった一日だけでしたけれど。徹夜したら不眠症が治ったんです。子供なんて単純な生き物です。

例えば1日8時間勉強、といわれても6年生なら当然と思ってしまうわけです。
そういう習慣ってのはなかなかどうして怖いものがありますね。


んまあ、今考えれば滅茶苦茶ですね。本当に狭い世界で生きていたわけです。

勉強は大変で嫌だったけれど、ほかの世界を知らないので、ほかを考えるすべなど無いわけですね。
馬鹿ですね、はい。


人間というのは自分の属している社会のことを、頭では「それがすべてではない」、と思っていても、やはりそれ以上に限定された世界で生きているんだな、と僕は常々思います。
僕なんか受験生の家に行くだけでも、其の家々の習慣の違いに、本当に十人十色とはよく言ったものだと思います。

あ、ごめんなさいね、話はですね僕の事です。

それでもね、僕は周りの人間に比べればかなり勉強はさぼってた方だし、実際学力的には慶應なんてのはかなり遠い存在でした。


家庭教師をしている今の自分からすれば本当に穴だらけでした。今の僕が指導についてダメな自分を叩きなおしたいくらいです。





と、まあ少し書かせてもらいました。

ただもう時代があまりに違うので参考にならないですね。指導する側からすれば自分の経験などは大した要素じゃないですし、今は今の時代の習慣がありますからね。


会社員であれば、「そのくらいの理不尽さは当然だろ!」と怒るかもしれませんね。中学受験という世界を見て。それか、しょせん子供のお遊び何をそんな深刻に、かもしれません。ほかにもいろいろあるでしょう、あげたらきりないか。

たしかに世の中そんなものかもしれない、僕はそう思います。
受験が異常であれば、正常なもののほうが少ないかもしれませんね。


僕はこう考えています。

生きている以上与えられた環境に取り組まない限り何も解決しないと考えています。
ややおおげさですが。多かれ少なかれみんな取り除きたい「たら、れば」の障害はつきものだと思います。

ましてや受験などは選択権があるわけです、やめようが続けようが、ご家庭の自由です。
中学受験で人生は決まりますか?

続けようと思えばそして上を目指そうと思えば相当な負担はかかるとは思います。
いろいろなものを犠牲にするから失敗したときのことを考えると・・・親はやりきれないでしょうね。

でも11,12才の人間の可能性は今結論出せますかね。まだ多感な年ごろまで数年あります。
どれだけの人間がこのときに打ち立てた将来の夢をかなえるでしょうか。

時間やコストや苦労や、人間関係、あらゆる受験の過酷さから、やはりやめるのか、それでもやるか、それはだれかが決めることではないと思います。

結局はどこまでいきたいのか合格したいのか、これは子供だけでなく保護者の精神力も問われている、そんな気がします。特に昨今の受験事情はそうだと思います。

親がはっきりと「こんなめんどくさいことやってられないから受験も塾もやめます」こういった人もいます。5年生でしたけど。

その人がそう思うのであれば、それが正しいでしょうね。

だから自分達の生活スタイルから、価値観などを崩さない範囲でやれることをやれば、それがその人の正解でしょうね。

最難関を目指し合格した家では、もうすべてが、体の芯まで受験に全身全霊を注ぐ御家庭は多いでしょう。それがその人の価値観で良しとすればだれに何言われようが、関係ないですよね。

逆に、うちはそんな出来ない、ここまで、というラインはそれこそ家々でしょうね。十人十色。


ここまでで言えることは、受験というものが正常か異常か、僕には判断できない、ということです。受験という存在が正常か異常か、僕にはこれにこたえられるだけの能力はありません。


僕の意見はあいまいかもしれません、それこそ何がいいくて何がしたくて、家庭教師で何やってんの?って突っ込まれるかもしれませんね。

いろいろな御家庭を見てきて言えることは、落ちても受かっても、親が「失敗した」という思いを持つことは親が思う以上に子供を縛りつけます。呪縛みたいなもんです。子供はあたかもすべてが人より劣っているかのような感覚に襲われるんでしょうか。こりゃあ大変ですよ。


僕はそんな受験は避けたい、きれい事ですかね、でもそう思うんですよ。

人間らしさを失いそうな環境で人間らしくなくなったら、それが本当の失敗じゃないですかね。


まずは昨日の1,2番相も変わらず思いつくまま、書いてみました。

僕自身不完全燃焼なのでこの話題もまた何度もするでしょうね。


ブログ村に参加しています。
↓こちらでは様々な中学受験に関する情報が満載です。

塾の話や教育に関して、家での勉強法など多岐にわたります。


なにかしら参考になると思います。


にほんブログ村 受験ブログ 中学受験へ

スポンサーサイト

テーマ : 中学受験
ジャンル : 学校・教育

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

No title

>閃光者様

守る、かばう、励ます、実際大変なんでしょうね。それはよく伝わってきますね、みんな一杯一杯頑張っているんだなって。

何とか力になれる部分は、とは思いますがなかなか、しょせんは他人、難しいですね。

>bmxhx502さま

きっと熱意や誠意はこっちの塾の先生にも分かってもらえると思います♪

雑誌なので見る限り根本的な考え方が「子供を預かる」関西と「基本は家族」の関東らしいですけど、質問や相談にも子どもとマンツーマンで乗ってくれるは必ずいると思います。

いろいろ僕も考えつつ反省していきたいと思います^^;

あ、歌の感想・・・うれしはずかしです・・・
いや、もう、ほんとになんといえばいいのやら

はじめまして。

一度、「通りすがり」として書かせていただきました(アキバのときです)。その折はご丁寧にレスをつけて下さり、ありがとうございます。

日本の受験制度の最終プロダクトの「教育」にあたる職業をしています。最高偏差値大学から最低に近い大学まで、常勤で教えたことがありますが、しみじみするのは、「どこで教えても、学生は受験偏差値の呪縛からなかなか自由になれないみたい。それが学びの上で足かせだ」ということです。

「できる、できない」「上、下」「勝ち、負け」などにとらわれがちな気がします。いつも、全体(そんなものはあるのでしょうか?)における自分の相対的な位置が気になっているような感じです。

世間ではどうでもいいことだけど、自分にとって切実な問いを立てて、それをみんなの前に差し出して、「さあ、一緒にこの問題を考えよう。自分ひとりで考えるよりも必ずよい考えがうかぶはずだ!!」みたいな態度をとれる学生は、なかなかいないように感じます。

個人的には3カ国10校近くの高等機関で学びました。日本の大学もなかなかいいですけど、入るのが「無駄に」大変すぎるというのが個人的印象です。本来、学ぶというころは(人によっては、ではありますが)、べつに誰からも評価されなくても、とってもたのしい行為だと思うのですが、日本の受験制度は、親まで巻き込んでの「苦行」、しかもそれに社会的に「プラス」の価値がつけられているような印象をもっています。

困るのは、「プラス」の価値があると、逆に「マイナス」の価値をつけられるものがあることなんですよね・・・・・・。自分が受験をがんばったのは自分の勝手なことなのだから、そうでない人間をけなすことはないのに。「自分がサイコー」と思うためには、「サイコーでない生き方」が影として必要になってしまうんでしょうか。システムとはいえ、それは本当に悲しいことです。

世界には受験なんてどうでもよい社会もいっぱいあります。そもそも中学受験のない国もけっこうあるのでは??? 日本で息苦しくなったら、別の社会で生きていくというのもいいのでしょう。・・・・・・・というのは、やはり、キレイ事にすぎないのでしょうね(苦笑)。むずかしいです。

同じ教育業として、この現実をうけとめつつ、前向きに職業にとりくんでいきたいと思いました。ありがとうございます。

No title

>GARAGO様

コメントありがとうございます。

がらごさんの経歴を見るだけでも僕は「うお!!」といかにも日本人の学歴にしばられた人間らしい反応を示しそうです。

と、失礼はさておき。

たびたびのコメントと重要な意見をありがとうございます。

僕の想像ですがさまざまな世界を見てきた上での考えというのは頭で理解しているつもりでもそれ以上に真摯に受け止めなくてはいけないと思います。

「男は学歴」、今これを強く痛感する大人が増えてきたのかもしれません。70年代80年代というのを知りませんが高度経済成長期のころにはなかった悲壮感というのが多くの人間に焦りや不安を与えているのでしょうか・・・。学歴不問といいつつ、学歴こそは最も重要な名刺。そんな感覚なのでしょうか?ごめんなさいよくわかりませんが。

受験の異常な加熱は日本人の特性なのかもしれませんね(韓国はもっとすごいと聞いたことがありますが)

入るのが無駄に大変というのは痛く同感します。
これほどの無駄なことはないとも思います。
「大学が最後の遊び場」徐々にそんな言葉は消えつつありますが、そんな言葉があったこと自体めちゃくちゃな気がします。

学びたいものが学び、そうでないものにもっともっと他の道が生まれるとより豊かな色合いを持つ国に生まれ変わると思うのですが。

がらごさんの言葉に賛同しつつ、それは本当に、本当に大事な核心をついているのだと思います。

僕が思う以上に切実な問題なのかもしれませんね。



ぶろぐでは音楽の話も多いですね。僕はピアノという楽器にあこがれに近いものを持っているんです。これからもたびたび訪問します。

大事なコメントありがとうございました。
プロフィール

shioshioshu

Author:shioshioshu
1980年生まれ 男性
慶応中等部出身
担当教科 主に算数
合格実績 麻布、駒東、ラサール、桜蔭、女子学院、渋幕、渋々、慶応普通部、慶応中等部、早稲田中、渋渋、武蔵、サレジオ、広尾、青学、学習院、浦和明の星 等

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
オススメ
にほんブログ村 受験ブログ 中学受験へ
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。