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心の成長

朝日新聞に掲載されていた灘校の国語教師のお話です。

夏休みテスト前にこんな問題を出したそうです。
「何かに気づいたり学んだりすることで、ものの考え方、生き方が変わったという経験を書いてください。」

帰ってきた答えは・・・

親族の死を通して命が限りあることを実感し、悔いのないようしっかり生きようと思った。

自分と他人との違いに、ほかの人とは違うことに気がついた。

などがあったそうです。


ここでの話で、先生が強調したいのは、他人と自分との違い、ということみたいです。


あ、違ったらすいません、僕はそう思いました。

抜粋してみます。

たった一人の自分であることは、ほかの人も変わりません。「電車に乗っているとき、ほかの乗客の人たちも何かを思いながら生きていることに気がついた」「人それぞれに自分の人生があり、その人にとっては自分はわき役でしかないことに気づいた。」そのことに気づいた人は、より「人の気持ちを考える」ことができるでしょう。
 国語はそうした発見を通じて成長していく、心によりそう科目でもあります。皆さんは人と関わり合う中で、あるいは、本の世界でいくつもの発見をすることができるでしょう。できればその感動が冷めないうちに日記などに残しておきましょう。大人になったとき、かけがえのない財産になります。


以前少し話しましたが灘の問題というのはある種の美しさというか、難しさの中にも気品がある、そんな印象を受けるときがあります。すごい抽象的な表現ですいません。
もちろん難関校といわれるところは、どこだって必ずそういう魅力的な部分があると思います。



でも国語の先生のこの話だけでもいかにこの学校が学力以上に人間性を求めているのか容易に想像できると思います。

僕が特に目を引いたのが、わき役、という言葉でしょうか。受験生の親であれば思い当たる節はたくさんあるとは思いますが、まあ今はそれは置いといてですね、注目したいのは子供たちがそういう視点を養うことの重要性ですよね。

読書量を増やすということは活字慣れもありますが他人の世界を傍目で見る、場合によっては、なりきりその人生を体感するということをたくさん経験することができることだと思います。

記述ができない子供の中には、実はあまり他人の気持ちになった経験が少ない、という人はいるかもしれませんね。

というのはですね、口下手な子に多いかなと、感じるのです。

それは人間的に徳が少ないとか、思いやりがないとか、そういうのとは全く違うと思います。

思いやりがありやさしい人間であっても他人と触れ合う機会が少なかったり、本をほとんど読んだことがなかったり、つまり自分以外の外界との接触が少ないと文章というのはなかなか書けないんじゃないかな、と思うんですね。

技術的なものはせておいて、とにもかくにも何かを書きたい、表現したい、というエネルギーが湧いてこないからです。


「できれば日記にでも残しておきましょう」と書いてありましたが、普通の感覚であれば「めんどくさっ」となるかもしれませんね。
でも自分の中の琴線に触れた時には、どうしようもなく人に話したくなったり、書きとどめておきたくなったりするんじゃないかなと思います。


僕は実際には知りませんが、灘の出身者は感受性の豊かな人間が多いと聞いたことがあります。学力も高く、人間できてりゃ鬼に金棒の気もしますが、やはり学力と人間性は密接な関係はあるんじゃないかなと思います。

実際にこの文章を読んでいるだけでも何かこの先生の人間的な温かさというのがうかがえると思います。


本質的には勉学も感受性がなければ究められないと思うし「何かを知りたい、学びたい、習得したい」と心の中でエネルギーが湧いてこなければある程度のところで頭打ちになると思うんですよね。 


もちろん受験本番を控えた人間にはじっくり取り組むという悠長なことは言ってられないかもしれませんが、まだ時間のある子供たちは、読書だけでなく様々な経験から記述力を養ってほしいし、また6年生であってもたくさんの演習を重ねることで何らかの感動に出会い自分の気持ちを表現することに積極的になれるかもしれません。


これは今勉強がはかどらない子にも言えるかもしれません。ああ、それはまたいずれ忘れたころにでも。



前回国語はすべての科目の基であり、算数でも当然必要な能力である、ということを話しましたが、理数系、文系、という風にやはり算国は対局の関係にあるのではと考える人も多いんじゃないでしょうか。


そのことについて僕なりに今考えていることを書いてみたいと思います。    


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灘といえば。

Shioshioshuさま、

ひさしぶりに寄らせていただきました。お元気そうでなによりです。

灘といえば、遠藤周作さん(慶應仏文卒)を思い出しました。個人的にとても好きな作家です。灘には優秀生徒クラスで入学したものの、読書クレイジー(?)などでユニークな(?)成績となり、卒業前は最下位クラスにいたというエピソードで知られていますよね。ワンダフル、灘!!

わが家は、わたしたち親が弱気だったため(笑)、子どもを14年間一貫教育のインターナショナルスクールに通わせています。成績も絶対評価だったりして、超ノンビリしていますが、プリスクールのときから一貫してホームリーディングだけは重視されています。

図書館のほかに学級文庫もあり、そこから毎日、英語で1冊以上、日本語で1冊以上「好きなだけの冊数」を借り、翌日までに「家族とうんと楽しく読んで、コメントを英語でも母語でも絵でもいいから書いてくる」というのを延々とやります。こんなことばかりしてるので(笑)、在学しているうちに、子どもも親もかなりの読書家になってしまいます。また、物語の読みすぎ(?)で妄想力(?)の発達も著しく、クリエイティヴ・ライティングに走ってしまう子どももいっぱいです。

結果的に、大学受験(欧米の大学をアドミッションズ・オフィス方式(?)で受験、あるいはIB資格を取って受験、いずれにしても高度な「記述力」が要求されます)を迎えたときには、とくに受験用の準備なしでも対応できる能力が養われています。

「他者の気持ちがわかる」とか「他者のコミュニケーション・ニーズに素早く親切に応答する」というのが、異文化を移動しながら生きる人の場合欠かせない能力になるので、大量の読書による「他者の人生の疑似体験」の教育効果はとても大切だと思います。また、あわせて、インターの場合には、同じような目的から、ドラマ(演劇)の授業が課されることも多いです。「人生は競争じゃない、旅だ!!」という強烈な標語が飾ってあったりして笑えます(^^)。

すみません、長くなりました。受験があってもなくても、日常的に読書するっていいものだと思います、と言いたかったのです。

ありがとうございました。

No title

>JBL124さま

コメントありがとうございます。

おっしゃるように性格的な部分はあると思います。

>面倒でも小さい頃から、文章の基本は手を動かして1対1で教えたほうがよいと実感していま>す

そうですね、結局そうなんですよね。
それを実感できるかどうかというのは目に見えない学力の差になるのかなと感じてしまう時があります。 実のところ子供を24時間見ているわけではないのでわかりませんが。

時期というのもおっしゃるようにすべてが全て早ければ早いほどいい、というわけではないですね。まあ、早いほうにこしたことはないんですが長い目で見た場合、早く早くが逆効果になることはあると思います。
また早くからの教育が後々頭うちになりやすい、嫌な思い出がトラウマになる、となればよくないでしょうね。

学力の高い子のなかには早いとか遅いとかの概念を超えて読みたいから読む、ときたいから解くということをやるうちに、早いうちにできるようになる子はいますね。
早期教育の好例なのだと思います。
そのまま子供が大人になって子供が嫌な思い出にならなければ成功と言えるのかな、と思いますが・・・。


最終的には身に付いた学力以上に「本人がやってよかった」と思えるかどうかだと思います。

中学受験を一つのゴールとしたときに「悠長な」となりますが、先々のことを考えれば時間は十分にありますし、もとよりそれは教育方針の違いで価値観も変わると思います。算数も、というか勉強はすべてそうだと思います。

それはだれかが決めることではないですからね、僕は意見として書く上で受験生で、そして偏差値で判断した場合の話のみで「悠長な」という表現は使いますがそういうのは個々が思った考えが答えだと思います。

ぼくが見ていて思うのは小学6年生の受験生という限られた状況で比較した場合、それまで培ってきた様々な経験が、記述力に影響し、ひいては学力の向上進度に影響しているな、ということです。

ですからどこに価値観を置くかでいいのかな、と思います。

個人的には1対1での作業は大切だ、と実感しているのであれば大変で時間がかかっても、もう少し広いスパンで見れば大きな効果が表れるかもしれませんね。
実際そういう人はたくさんいると思います。

また子供によっては精神的にもそういうほうが負担にならない場合もあるかもしれません。

受験をゴールとしなければ急ぐ必要はまったくないと思います。
(心情的には割り切れず悩む方は多いとは思いますが。)

No title

>ららさま

おひさしぶりです♪

最近夏休み前のペースに戻りつつありますが、また2月ごろに向けて・・・更新が遅くなりそうです(汗)

Garagoさんはグローバルなという印象が強いのですがお子さんもやはりなんですね。

たしか数学などはかなり日本に比べて遅いみたいですが、最終的に大学の学力を考えると、日本に比べてのんびりかもしれないけれども最後にはその差を埋める、もしくはそれ以上になる、ということなのでしょうか。


もしくは価値観、重要視する点の違いが、
過程の違いを生むのでしょうね。

音楽などでは日本人の表現力のなさを痛烈に批判する人や本というのは結構見かけますね(汗)

自分としてはそういう部分では脱日本人でありたいのですが・・・。

どちらにせよ読書が大切なものである、ということには変わりないでしょうね。
プロフィール

shioshioshu

Author:shioshioshu
1980年生まれ 男性
慶応中等部出身
担当教科 主に算数
合格実績 麻布、駒東、ラサール、桜蔭、女子学院、渋幕、渋々、慶応普通部、慶応中等部、早稲田中、渋渋、武蔵、サレジオ、広尾、青学、学習院、浦和明の星 等

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